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14:48 徳島市
3年経って何が変わったか。
愚問かもしれないその問いが
僕の中では繰り返し響いている
この一週間、震災後を追った記事が目立つ
そこで目にするのは、被害の大きさを数字で表現する記事だ
何万人が犠牲、今も尚何十万人が避難生活を余儀なくされている
いつまで、物事を母数で表現しようとするのか。
もっと、一人ひとりの生活に立ち
考えることができないのか。
よく著名人が表現する言い方を拝借すれば
1人が亡くなる事件が、2万回起こってしまった。
人一人の視点で今回の震災を考える
とても良い表現だと思う。
亡くなった人には家族も、友人もいる
その気持ちに立ち、震災を考えられているのか。
僕も、一ヶ月の間に大切な家族を2人亡くしたことがある
気が狂いそうな経験をした。
津波で、一瞬にしてその全てを失われた人の気持ちは
想像に変え難い苦しみなはず
せめて、当時を振り返り、自分と、家族や仲間、
その地域に暮らす人々を大切に思いやる
そんな時間にしてほしいと切に願う。
そして、それぞれがあの日を境に
感じたこと振り返る時間でもあってほしい。
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23:46
グループ展「goen」の会期が無事に終了致しました。
共に、展示したメンバーをはじめ、
機会をくださった稲垣恵さん、
粟カフェのみなさん本当にありがとう。
そして、会期中、貴重なお時間を用し、
会場に足を運んでくださった
お客様、ありがとうございました。
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今回、「その瞬間」と題して15枚の写真を展示しました。
これは4年前、母が亡くなる3日前の11月30日から、
告別式が始まる直前、12月6日までの写真です。
この写真を展示するにあたり
まずは、母の死を、その現実を受け入れ、
これからの生活と向き合えてからと考えていました。
東京を離れ、徳島に導かれ
神山という土地で、「死」と「これから」を向き合う時間をいただき
苦しみながらも、この2つを受け入れる準備ができてきました。
その反面、自分の写真と向き合う時間も多々あるなかで、
自分がむかう写真の方向性が分からなくなりました。
考えるほど、ますます分からないことだらけ。
でも、自分の写真に自信がなくなろうと、
しょうもないと思おうと、
それでも、自分の写真を信じてやれるかどうか
そこに辿りついたとき
だからこそ、
一生かけてチャレンジするに値することなのかなと。
そう感じてから、肩の荷がおりました。
とにかく、やり続けるしかない。
その覚悟がこれから大切なんだと。
その、気持ちに逆らわず、
まっすぐに、裸の状態で
言葉を、思いをそして写真を伝えてみました。
これから表現していきたい、
伝えていきたい写真の原点。
まだまだこれからですが、
ひとつひとつの出会いを大切に、
そこでつながる人のご縁に感謝しながら。
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もう一つ。
僕にとっての家族。
父と母は物心ついた時から、仲が良くなかった。
そんな2人をいつも一番近い場所からみていた。
そのとき感じたことは
家族ってめんどくさい存在だなって。
そして何より寂しかった。
病気が分かってからも、変わることなく
死ぬ間際まで、両親は気持ちを交わしきれず別れを迎えたと思う。
人は失ってから、大切なものに気付く。
父もそうだったはずです。
家で過ごせる最後の夜
寄り添うように母の隣で、寝る父を見て
そこにある愛が、形として垣間みれました。
ほんの少しだけ家族っていいなって
心から思い、僕も救われた気がします。
最初で最後の、両親への感謝。
では作品をどうぞ。
『その瞬間』